樂吉左衛門(らくきちざえもん)家は、利休と同時代の長次郎を初代とし代々樂茶碗を中心に制作しておられる陶家です。千家十職の一家・茶碗師。代々吉左衛門を襲名し、剃髪隠居の際に「入」とつく隠居名とするならいです。

初代 長次郎(ちょうじろう):?~1589(天正17)年

唐人・阿米也の子。茶碗制作に先駆ける作品として1574(天正2)年の彫銘がある「二彩獅子(重文)」が知られています。利休との出会いはその頃にはすでに始まっていたと考えらておりますが実際に茶碗が制作されるのは「二彩獅子」の数年後で1579(天正7)年頃ではなかったかと考えられております。長次郎作の茶碗は利休の創意に基づくもので茶会記には「宗易形ノ茶ワン」(松尾茶会記:1586・天正14)と記されているのも確認されています。この時期流行を見た高麗茶碗・他の国焼とは異なる独特の様式は利休の「侘び」の思想を表現しているといわれております。黒釉を用いた黒樂と胎土の聚樂土の色を現す赤樂茶碗があります。近年の研究において二代常慶田中宗慶と混同されていたものが識別されつつあるようです。

二代 常慶(じょうけい):?~1635(寛永12)年

長次郎の妻の祖父である田中宗慶の子。長次郎没後本格的に活動を始め、樂焼窯を統率し樂家の基礎を築いたといわれております。本阿弥家と法華信仰を通じ密接な関係を結び、光悦は常慶に茶碗を造りを学びました。またその光悦の紹介により樂家は徳川家・前田家に出入りを許され、徳川二代将軍秀忠より「樂」の印を拝領しました。以後樂家当主は「吉左衛門」を名乗るようになりました。沓形の茶碗、土見せ高台などなど新しい方向性を打ち出しました。黒樂茶碗を主にしながらも、香炉釉と呼ばれる白釉も生み出しました。

三代 道入・ノンコウ(どうにゅう):1599(慶長4)~1656(明暦2)年

二代の長男。弟に道樂(吉右衛門・生没年不詳)がいる。親交のあった光悦の影響もうかがえて当時から「樂の妙手」と評価が高かったようです。通称のノンコウの由来は千宗旦より贈られた竹花生「ノンコウ」(宗旦と伊勢参りの際、立ち寄った茶屋「のんこ」の裏にあった竹を使用したと伝わる)を座右に置いていたためといわれております。この頃より皿、花入、香合、水指なども制作するようになりました。道入の茶碗は極めて軽やかでモダン性に富み、艶やかな光沢を持つ黒釉で、なかには抽象的な装飾のあるものもあります。幕釉・蛇蝎釉・砂釉・朱釉などの釉薬を創製しました。使用印は「自樂印」(樂の字の中央部が自となっていることから)と称されるものがある。

四代 一入(いちにゅう):1640(寛永17)~1696(元禄9)年

三代の長男。父の逝去によりわずか17歳にて家督を襲名。1691(元禄4)年、剃髪をし隠居。「一入」称しました。当初は父の影響の中で力強く大胆な作風を示したようですが利休回帰の時代風潮もあり初代長次郎に倣った小ぶりでおとなしい作品へと変わっていったようです。道入に始まる「朱釉」(黒釉の中に銅の赤色が浮かび上がるように発色する)を完成させたほか、具象的な絵を描くこと、また自らの茶碗の箱に書付をすることもこの一入から始まったとされております。

五代 宗入(そうにゅう):1664(寛文4)から1716(享保元)年

四代の養子。呉服商雁金屋三右衛門の子。四代の娘・於津(のちに妙通と)を妻にする。尾形光琳・乾山とは従弟にあたり曽祖母は光悦の姉・妙国。28歳での一入の隠居に伴い五代を襲名。1708(宝永5)年、45歳の時に剃髪し隠居しました。表千家5代隋流斎宗佐の一字を授かり「宗入」と称しました。作風は初代長次郎を慕い光沢のある黒釉は失透性にもどり、この宗入独特の黒釉を「カセくすり」と称しました。赤樂は白身をおびえているのが特徴。厚づくりでぽってりとした落ち着きのある姿が特徴です。

六代 左入(さにゅう):1685(貞享2)~1739(元文4)年

五代の婿養子。24歳で襲名。1728(享保13)年に剃髪隠居。表千家6代覚々斎宗左より一字授かり「左入」と称しました。1733(享保18)年、二百碗の連作「左入二百」(表千家7代如心斎書付)が有名。歴代の名碗、光悦や瀬戸黒などの国焼き茶碗からも学んだようで作風は多様かつ個性的な作風を見せています。黒樂は「カセ」、赤樂は白濁した釉薬がよく用いられています。

七代 長入(ちょうにゅう):1714(正徳4)~1770(明和7)年

六代の長男。15歳で襲名。1762(宝暦12)年、剃髪隠居します。初代長次郎より一字を採って「長入」と号しました。厚手で豊かな量感をもつ大ぶりなものが多く黒釉は艶のある漆黒を呈しています。赤楽には数種類の色調があります。細工物に長じ七宝透かしや、交趾風の釉薬、金彩などを駆使し技巧的な作品を試みました。

八代 得入(とくにゅう):1745(延享2)~1774(安永3)年

七代の長男。18歳で家督を継ぐも病弱なため1770(明和7)年の長入の逝去に伴い弟惣次郎(後の九代了入)に家督を譲り隠居して「佐兵衛」と改名しました。法号は25回忌の追善に贈られています。30歳で亡くなったため作品数は少ないですが茶碗としての完成度は高く評価されています。

九代 了入(りょうにゅう):1756(宝暦6)~1834(天保5)年

七代の次男で八代の弟。15歳で家督を継ぎました。1811(文化8)年、56歳で剃髪隠居し表千家9代了々斎より一字授かり「了入」と号しました。1788年の天明の大火で長次郎以来の陶土を焼失する不幸に見舞われながらも楽家の磐石な基礎を築いたことから中興の祖と称されております。1819(文政2)年、紀州徳川家御庭焼「偕楽園焼」を開窯するにあたり了々斎に従い十代旦入とともにおもむきました。作風は三つの時期に分けられるとされます。襲名から明暦の大火までは比較的温和とされ、大火後から剃髪までは大胆な箆削りによる力強さがあるとされ、隠居後の23年間は自由闊達とされています。またこの三期で印も分けており、それぞれ「火前印」「中印」「草楽印(隠居印)」とあります。また「翫土老人」(了々斎より与えられた翫土軒の扁額による)の印もあります。

十代 旦入(たんにゅう):1795(寛政7)~1854(嘉永7)年

九代の次男。長男の天折により17歳で家督を継ぎました。文政2年に了入に従い紀州徳川家の御庭焼「偕楽園窯」を手伝い10代徳川治宝(はるとみ)より「樂」の印判を受領します。11代斉順(なりゆき)の御庭焼「清寧軒窯」の開窯にも奉仕、唐津織部志野を写し自らの作陶に生かしました。1845(弘化2)年、剃髪隠居し表千家10代吸江斎から千宗旦の一字を授かり「旦入」と号しました。九代の箆使いを主体にした造形をさらに発展させ技巧的に完成させました。赤楽では強い火変わりや窯変など変化にとんだ作品が多い。

十一代 慶入(けいにゅう):1817(文化14)~1902(明治35)年

十代の婿養子。29歳で襲名。1871(明治4)年、55歳で剃髪隠居。茶道に精進し表千家11代碌々斎より皆伝を受ける。明治維新の茶道衰退期にあった75年の作陶生活の中で茶碗に限らず皿・鉢、懐石道具、煎茶道具までも手がけ歴代中最も多種多様な作品を残しています。作風は箆削りを主体に薄造りで瀟洒(しょうしゃ:すっきりとしゃれている様子。俗っぽさがなく、あかぬけしていること。)な趣。

十二代 弘入(こうにゅう):1857(安政4)~1932(昭和7)年

十一代の長男。15歳で襲名。1919(大正8)年、63歳で隠居。明治の青年期には茶碗の注文も少なかったが大正時代の茶道復興を受け大いに作陶に励みました。隠居後は滋賀県石山に退き作陶のかたわら茶の湯・俳諧を楽しみました。温和な人柄を反映した丸みのある穏やかな作行のなかに多彩な箆使いがみられます。黒楽の二重幕釉を得意としました。特徴的な印「8樂印」(樂の幺の部分が数字の8に見えることから)が知られています。

十三代 惺入(せいにゅう):1887(明治20)~1944(昭和19)年

十二代の長男。1919(大正8)年に襲名。隠居をしないまま58歳にて逝去しました。親交の深かった表千家12代惺斎の一字を授かり「惺入」としました。相次ぐ戦争による混乱の時代に樂家の伝統を守ろうとした姿勢が作品からもうかがわれる。また各地の鉱石を採取して釉薬の研究にも熱心に取り組まれました。

十四代 覚入(かくにゅう):1918(大正7)~1980(昭和55)年

十三代の長男。終戦帰国後に前年に他界した十三代の後を継ぎました。現代と伝統の融合を目指し造形性に富んだ箆削りの技法を主体に新たな樂茶碗の世界を切り開きました。1977(昭和52)年には樂家伝来の歴代作や資料を寄贈して財団法人「樂美術館」を設立しました。翌53年には、文化庁より技術保存のための無形文化財保持者に認定されました。黒樂茶碗は伝統的な古格を感じさせる一方で赤樂はモダンな作為が横溢(おういつ:あふれるほど盛んなこと。)したものが多い。

十五代 直入(じきにゅう):1949(昭和24)年~

1973(昭和48)年東京藝術大学彫刻科を卒業後、イタリアのローマアカデミアで学び1981(昭和56)年に十五代を襲名されました。フランスをはじめヨーロッパ、ロシア、アメリカなど海外でも活躍されております。また陶芸以外にも写真・建築設計にも携わり佐川美術館の設計監修にも携わっておられます。焼貫技法による斬新かつ前衛的な樂茶碗、茶入、水指などを制作されております。当時「今焼」と呼ばれた長次郎と同じく樂の現代性を鋭く問い続けておられます。2019(令和元)隠居され直入と名乗られました。

十六代 樂吉左衛門:1981(昭和56)年~

十五代の長男。2011(平成23)年、29歳より作陶生活に入り、父十五代より「惣吉」の花押を受けました。平成28年高田明浦老大師・大徳寺管長より「樂」の字をいただき、2019(令和元)年7月、十六代を襲名されました。

 

 

※参考資料「茶道具の名工・作家名鑑ー淡交社編集局編」(淡交社)  

 

 

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