織部焼の解説です。
織部焼(おりべやき)は瀬戸系の陶窯で焼かれたものです。
武将で茶人の古田織部の好みによって焼かれたという伝えは有名ですね。
今でいう織部焼は本来の織部焼の一部分だけについて呼ばれる名称であって、本来はいわゆる志野焼を包含しており安土桃山時代の瀬戸焼の主流となるものとされます。
織部焼の盛んな時期は瀬戸の窯業史を通じて最も絢爛な歴史的一時期であったとされます。

(織部ハジキ香合)

美濃久尻元屋敷(岐阜県土岐市泉町久尻)の窯跡から織部の破片がたくさん出土したそうで、この窯は尾張・美濃に移入された唐津風の連房式登り窯の最初のものとされ、年代は慶長(1596-1615)の初年から遅くても中期は降らないと考えられています。
旧来の瀬戸式の単室の窯跡からは織部焼が発掘されないところから織部焼は先の元屋敷の窯で始まったと考えられ近隣の大富・大平・大萱・姫から尾張の赤津・品野などに及び慶長から寛永(1596-1644)頃まで盛んに焼かれたとされます。
しかし、焼成が堅くなく装飾が多彩すぎ形状も奇抜すぎて実用向きではないことが次第に飽きられはじめ製造が途絶えてしまいます。
その後140年を経た天明(1781-1789)頃、瀬戸の北島で織部焼は再び焼かれ出します。前期の美濃製とは異なっていました。
しかし、染付が盛んになると同時に再び駆遂されていきました。
【織部焼の特長】
狭義の織部焼は従来の黄瀬戸や志野焼の素朴な装飾と形状とは反対に一歩進展した新製品とされました。色釉・模様・形に技を凝らし複雑な効果を求めました。
その形状は一般に歪んでおり多角で奇抜を極めていました。色彩は黒・濃緑・赤など多種多様で染め分けなどの技巧も用いました。
緑釉を染め分けする際には色を鮮明に出すためその部分に白土を用い、無色釉の部分には赤土を用いるなど、ひとつの器に対し二種の土を継ぎ合わせるなど工夫が見られます。
模様も多種多用であり写生に近いものもあれば異国風のもの、幾何学模様などがみられます。
型作りの手法も盛んに行われました。

(織部蓋物)

【織部焼の種類】
●黒織部(または織部黒):茶椀に多く引き出し黒の一種で造りは柔らかい。
●青織部:今でいう織部焼を主に指す。釉の掛け分けによる片身替りのものや総織部がある。
●赤織部:青織部の白い部分が赤くなっているものを指す。
●絵織部:鉄砂または赤楽色や銅緑の絵具で織部文様を施したものを指す。
●鳴海織部:尾張国鳴海(名古屋市緑区鳴海町)で焼いたものを指す。
●唐津織部:古田織部が唐津で焼かせたものと伝えられています。
●伊奈織部:慶長中期に瀬戸系窯で伊奈備前守忠次が焼かせたとするが不詳。

(加藤春岱作:織部茶碗)

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参考文献『原色陶器大辞典』
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