江戸時代の瀬戸は当初から尾張藩の保護下に置かれていました。初代藩主である義直が1610(慶長15)年に美濃に住す瀬戸の陶工加藤利右衛門(後:唐三郎となる)と弟仁兵衛を赤津村へ加藤新右衛門と弟三右衛門を下品野(しもしなの)村へ召還し、藩の陶器御用を命じ窯業の建て直しをはかったようです。

赤津村の二家は「御窯屋(おかまや)」を拝命しました。後に増員を願い出て一族の太兵衛を加えて「加藤唐三郎家」「加藤仁兵衛家」「加藤太兵衛家」となり、「御窯屋三人衆」と呼ばれたようです。

一方、下品野村の加藤新右衛門家・加藤三右衛門家は御焼物師(おんやきものし)を拝命、これは御窯屋に準ずる役職であったそうです。 彼らは藩の御用品を納めたり、御庭焼に出仕をしました。また名字帯刀・諸役免除をはじめ名誉と特権を与えられました。

その後の瀬戸焼は生産過剰にあえぎ、藩の援助をうけ磁器生産に踏み切りました。肥前(九州佐賀)磁器の技法を伝えた民吉や他の功労者たちにより磁器の焼成が可能になりました。そこで新たに加藤唐左衛門家・加藤吉右衛門家・加藤半助家などが御焼物師に加わることになりました。

瀬戸の陶工たちは藩関係のやきもの屋ばかりではなく系図・器に記された銘などからはさらに多くの陶工の存在が知られているようで、その作品からは優れた技術がうかがえます。

 

 

 

景正王(かげまさおう)

「景正王」の銘印を持つ茶碗が伝世しているようです。加藤孫兵衛景政の作と伝わっているようです。1659(万治2)年に没した陶工で、陶祖加藤藤四郎左衛門景正の16世、陶祖景正13世ともいわれ、「瀬戸陶業史」には1624~48(寛永~正保年間)ごろの人と諸説あるようです。「景正王」銘印の器は瀬戸市郷(中郷町)の経塚山古窯址から出土しているそうです。灰釉か鉄釉の単色のものが多いようです。

 

 

 

加藤梅太郎(かとううめたろう)

幕末~明治期の陶工。加藤春岱の弟仁十郎の長子、つまり春岱の甥にもあたる。赤津窯御窯屋最後の名工といわれた春岱が1838(天保9)年に罪を得て職を免じられるとその長子光太郎が継ぐも病弱のため、仁十郎の長子梅太郎に譲る。1866(慶応2)春岱が罪を許され復帰するまでの間梅太郎は御窯屋職を無事つとめました。その後赤津の自窯に戻り作陶を続けました。その頃より作品に「今春岱」瓢形・瓢下脹れ印を用いました。1885(明治18)年没。  

 

 

 

加藤景夫(かとうかげお)

明治から大正期の陶工。陶祖春慶景正の正裔として35代目を名乗り自ら明治藤四郎と称したようです。瀬戸市洞口(ほらぐち:東洞町か?)に住したようですが詳細は不明なようです。印銘は「景夫」四方印。

 

 

 

加藤景清(かとうかげきよ)初代作助(さくすけ)

江戸期の瀬戸赤津窯の陶工。初代加藤作助。通称作兵衛、号は作助の他に晩年の「寿斎」がある。初代唐三郎の三弟景元を家祖とし六代景幸の男子。茶器・酒器を得意としました。銘印に「壽斎」「壽濟」小判印・草書彫銘がある。1893(明治26)年没。作助家は現在も赤津で継承されています。

 

 

 

・二代作助:加藤景義(かとうかげよし)

1844(弘化元)年生まれ。初名は慶三郎。制作の傍ら古陶器を収集しその形状や技法の研究に没頭したようです。初めは磁器を焼いていたようですが後に本業に転じ、古瀬戸・黄瀬戸・織部・志野・御深井・三島などの古器を巧み写しました。父景清に劣らぬ技巧で明治の名工と成しました。初号は「古陶園春逸」と称し「春逸」の二字を款しましたが弟の小三郎が分家独立に際し、「春逸」号を贈り自らは二代作助を名乗ったそうです。70歳の時に「春仙」と改称し彫銘のものが確認されています。他に銘印は「作助製」「春逸」小判印、「作」の花押印を用いています。

 

 

 

・三代作助:加藤精一(かとうせいいち)

1879(明治12)年生まれ。1915(大正4)年父二代作助の隠居により家督を相続。晩年は「春山」と号しました。明治年間より二代が創作した織部洋食器の制作を推進し米国への輸出をより盛んなものにしたそうです。日本古来のやきもの技法を幅広く洋食器に取り入れ欧羅巴にも紹介したそうです。銘印は「春山」草書瓢箪形印、「作」花押彫銘があります。1948(昭和23)年没。

 

 

 

加藤景次(かとうかげつぐ)

桃山から江戸期の陶工。江戸後期の勇右衛門窯の発掘調査より「景正王」銘印のものとともに「景次」小判印を押した碗が多く出土しているようです。以前は江戸初期の陶工加藤八右衛門景次の印といわれておりましたが著名な名工にあやかりブランド名として使用したものではないかと推測されています。

 

 

 

加藤勘六(かとうかんろく)

初代勘六は加藤孫右衛門春琳の長男であるが、元文年間(1736~1741)瀬戸村北島(瀬戸市窯神町)に分家しました。それより代々「勘六」を名乗った。三代は「閑陸」と号し青磁の名手といわれいたそうです。それは今でも「閑陸青磁」と呼ばれ名作が残されています。

 

  

 

加藤五助(かとうごすけ)

家祖は陶祖景正18世の孫加藤長太郎の長男で五助・「陶治」と号しました。分家して陶業に従事すること25年、業を製磁に転じて原土の選択、施釉法の研究をし始めて組盃を作ったり、磁質の青磁釉を発明し厚手小皿を製作しました。「五助玉縁小皿」と呼ばれていたようです。以後2代(号:天外)は「妍麗精妙なる青華」、3代(号:陶菴)「数種の原土を淘汰し一種の良土を得たり、方言之を自画」を発明し、4代(号:陶玉園、隠居後は陶玉)は「白磁及び青磁などの釉に白盛の浮上紋様を描出したる器にして優美鮮妙」といわれ近代瀬戸陶の名工とされました。

 

  

 

加藤五郎八(かとうごろはち)

明治期の瀬戸陶工。始め藤太郎と称し、品吉の長男にして赤津窯の良工春岱の教育を受けて雅作の名手といわれ名工の名をほしいままにしたようです。号は「永楽」。

 

  

 

加藤春花(加藤海助)

加藤新右衛門家につながる家系で西窯組(新右衛門系)の陶工。幼名牛之丞、後に海助に。号が春花といいます。嘉永から万延年間に活躍し良工とうたわれた。爪画を得意として鉄絵のほとんどは爪を用いたようです。1884(明治17)没。銘印は「春花」、二代(昭和10年没)は枠無し「春花」印を用いました。

 

 

 

加藤春暁(加藤武右衛門)

春琳の孫、加藤武右衛門家2代目。安永年間(1772~1781)御窯師となり尾張藩御深井焼に従事し良工の名を残しました。別号に「楽之斎(らくしさい)」がある。1808(文化5)年没。三代は春宇と号し、作品は多く残しているようです。1827(文政10)年没。その後4、5、6代と続き7代の頃には製陶業に転じました。武右衛門家は瀬戸・北新谷(西谷町)に窯を築き茶陶を製作するも日用品の割合が多い。武右衛門・春暁の名は共に歴代が用い作品から何代とするのは困難とされています。

 

  

 

加藤春厚(かとうしゅんこう)

尾張・瀬戸で「春厚」の号を持つ陶工は天正年間(1573~1592)の瀬戸六作の一人「加藤景茂」と文政年間(1818~1830)の瀬戸焼陶工「加藤定七」がいずれも「春厚」の号を使用していたことが伝えられており、後者は織部の作品に定評があり、上野焼写しにも長けていたようです。詳細があいまいで銘印は認められないようですが、「春厚」の楕円印が確認されているようです。

 

 

 

加藤喜平次(かとうきへいじ)

・初代加藤喜平次

号を春喜(しゅんき)といい、七代加藤孫右衛門(清左衛門)の孫にあたる。

・二代喜平次

初代春喜の子で号は「春山」という。明和年間(1764~1772)に活躍した陶工。重厚な作が多く志野・織部の特色を発揮し厚がけの釉薬を融合させ美しい色調の伝世品を残しています。銘印には「春山」楕円印大小が確認されています。赤津の陶工景典(春岱の父)にも「春山」銘の作があると伝わるようですが詳細は不明だそうです。

 

 

 

加藤春二(かとうしゅんじ)

初代は竹里庵と号し瀬戸十作の流れをくむ11世加藤元十の次男。1890(明治23)年に分家し瀬戸に住み陶業を営んだようです。旧尾張藩主の徳川義親候より葵形の金印を賜り「葵窯」の名称もって御用窯として数多くの調度品を作ったそうです。

二代春二は1892(明治25)年、瀬戸に生まれ1926(大正15)年に二代目を襲名をしました。茶道具を主に制作し茶道松尾流の職方となりました。1940(昭和15)年には戦没者慰霊のため観音像を勤作し熱海市伊豆山に興亜観音として祀られています。1975(昭和50)年には愛知県指定無形文化財(古瀬戸・織部焼)となりました。1979(昭和54)年、87歳にて没。

銘印は「葵」形。

 

 

 

※参考資料: 黒田和哉「近世・近代茶陶の茶陶窯場名工名鑑」(淡交社) 愛知県陶磁資料館「尾張の茶道具~瀬戸・常滑の名工たちをめぐって」(2001)

 

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