茶の湯の世界では季節があり、五月~十月までの期間を風炉の季節、十一月~翌四月までを炉の季節(十一月初旬の炉開きより)としています。
二つの季節の違いは湯をどう沸かすか、釜をどのように懸けるかです。
風炉ではお道具の一種「風炉」を据えて釜を懸けます。これに対し炉の季節は茶室に「炉」を切って釜を懸けます。
簡単にまとめると風炉が可動式に対し炉は固定式といえます。
また風炉は、点前の種類、使用する道具により据える位置が変わります。
【炉の歴史】
炉の歴史は書院茶の時期より京都東山にある慈照寺(銀閣寺)の東求堂にある同仁斎(どうじんさい)と呼ばれる四畳半の書院の中に炉が切られていたことが確認されています。茶室の条件は揃ってはいなかったようですが部屋の中に炉を切った早い例とされています。
ですがこの時代の主流は風炉の設(しつら)えでした。
草庵茶の時代を迎えると、珠光のころには民家の囲炉裏をヒントに、茶室に炉を切ることが始まったようです。
当初は寸法に決まりは無く大小様々だったようですが、紹鷗と利休が話し合い現在の一尺四寸(約42.4cm)に定められたようです。
【風炉の歴史】
書院茶の時代では、季節を問わずすべてに風炉が用いられていたようです。
台子皆具の一種、唐銅の切掛風炉と呼ばれるものです。
草庵茶の時代、珠光~紹鷗・利休時代にいたって様々な形の釜が使用されるようになり、それに伴い風炉にも様々な形のものが造られるようになりました。
当初風炉は、奈良の土器師(はじし)によって造られたと考えられています。珠光が奈良に住んでいたこと、春日社の神器を作る土器師が住んでいたことが関係があると思われます。
この奈良で造られた風炉を「奈良風炉」と総称しています。
【土風呂・焼物師ー永楽善五郎家】
千家十職の土風呂・焼物師の永楽家は初代は西村を姓とし奈良の西ノ京で土風呂を造っていました。二代の時には大阪堺に移り、三代で京都に移ってきました。
永楽家は茶道の中心地の変遷と共に移住していたと考えられます。
【風炉の材質・種類】
風炉は土でできたもの、金属でできたものなどがあります。また真・行・草と分類され、真は土風呂、行は唐銅風炉、草は鉄風呂・板風炉・丸炉(がんろ)と陶磁器製のものとなっています。
唐銅風炉
・眉風炉
土風呂の一種、火窓の上部が切れずにつながっているもの。
・面取風炉
火口が刳られた風炉の肩に面がとられているいるもの。
・透木(すきぎ)風炉
土風呂の一種、肩の部分が平らで透木が置きやすくなっているもの。
・四方風炉
唐銅風炉の一種、四方形のもの。
・紅鉢風炉
土風呂の一種、すり鉢形で火窓が半円形に切られたもの。
・欠風呂(かきぶろ)
鉄風呂で、甑(こしき)や肩の一部が欠けてなくなっていたり、鎹(かすがい)で継いだりしたもの。
侘びの趣向より自然の損傷を景色とし、名残りの時期に使用されます。破れ風炉、やつれ風炉とも呼ばれます。
・板風炉
周囲を板で造り、内部は炉壇、風炉灰もしくは湿し灰を使用します。風炉から炉に替わる名残りの時期に使用します。
【敷板】
風炉の敷く板のこと。風炉の安定や畳へ熱気が伝わりにくくする役割を担います。
・大板
・小板
・荒目板
・円板
・敷瓦
・鉋目板
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参考文献『茶道具百科』淡交社
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