赤膚焼の解説です。
赤膚焼は奈良県奈良市五条町の陶器です。遠州七窯の一つでもあります。
五条山では室町時代から土風呂(奈良風)などが作られていたようですが、伝説によると天正年間(1573-1592)郡山城主大和秀長が、尾張の陶工夜九郎を招き開窯させたのが起こりとも。
江戸の中期頃までは不明なのですが、天明(1781-1789)頃に京都の陶工治兵衛らが五条山に移り築窯。寛政年間(1789-1801)には柳沢堯山候の後援を得るようになります。堯山候没後は一時不振になりますが、天保年間(1830-1844)頃から郡山の数寄者(好きモノの呼び方)奥田木白(1871-明治4)が治兵衛の窯で作陶し始め、京焼の仁清写しなど各種写し物に巧みで、能人形は特に独壇場であり、赤膚焼の名を有名にしました。
現在、赤膚焼の特色である萩釉もこの木白から伝承しています。
今日でも赤膚焼は五条の古瀬窯をはじめ緒窯あり盛んに活動しておられます。
【赤膚焼の窯印】
●「赤膚山」印と「赤ハタ」印
勾玉形の「赤ハタ」印(凹凸)は堯山候から拝領したもの。「赤膚山」印は以前から使用されていたと伝えられる。(※赤膚山:窯のある丘の名称)
①茶碗とその裏面 「赤ハタ」印
②蓋物とその裏面 「赤ハタ」印
●奥田木白の印
「赤膚山」印と「木白」印を捺す。
③「老松茶碗」奥田木白作
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参考文献『原色陶器大辞典』、『日本陶器全集(大正)』
参考写真『日本陶器全集(大正)』、古道具さわだ所蔵品
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