宮川香齋(みやがわこうさい)

貞享年間(一六八四~一六八八)に近江国(現:滋賀県)より京都へ移った祐閑(ゆうかん)を祖とし、真葛窯を開いた長造、初代香山など名工を輩出してきた名家である陶家「宮川家」。

初代・赤鯶(せっこん)香齋

文政六年(一八一九)~慶応元年(一八六五)。治兵衛春房の長男。作品には染付、青華など中国陶の写しが多く、当時流行していた文人趣味の煎茶道具も多く作っていました。作品銘には書銘のものが多く「香齋精製」「洛東陶香齋精製」「大日本香齋製」などがある。海外向けの作品(「大日本○○」銘が多く確認されいる)も作陶し輸出され多くの作品が残されています。十水五石印は作品・箱書きにも使用。初代以後、布や箱に遊印として当代まで使用されています。

二代・善翁(ぜんおう)香齋

弘化三年(一八四六)~大正十一年(一九二二)。薪炭業中村七右衛門の長男。本名、熊二郎。父が幼いころ死去し、母方の伯父、初代宮川香齋の養子となりました。真葛ヶ原の宮川長造のもと仕事見習いに入り、長造窯を手伝っていました。長造の死後、養父宮川香齋家に戻り家業に従事することになりました。

慶応元年(一八六五)、二代を襲名しました。煎茶の同門には、三代清水六兵衛、二代清風與平氏がおり、また富岡鉄斎とも親交が深く、合作の煎茶器揃なども残されいます。その他画家の菅楯彦とも交流がありました。金彩銀彩の絵付けが施された瀟洒(しょうしゃ:すっきりとしゃれている様子)な煎茶器など多種多様な作品を制作していました。

三代・光誉(こうよ)香齋

明治二十七年(一八九四)~大正八年(一九一九)。二代の長男。本名は周造。大正二年、二代の隠居に伴いに三代を襲名。大正八年(一九一九)、父に先立ち病死しました。

四代・永誉(えいよ)香齋

明治三十年(一八九七)~昭和六十二年(一九八七)。二代の次男。本名金吾。大正八年、兄の病死に伴い、四代を襲名しました。昭和四年(一九二九)、表千家半床庵久田無適斎宗匠に入門し、茶道具の制作に専念。箱書も頂けるようになりました。昭和五年には帝展(現在の日展)に初入選。それ以来数々の展覧会に出品しました。昭和九年より真葛焼宮川香齋を名乗り始めました。

四代真葛香齋作、絵高麗梅文茶碗 四代真葛香齋陶印と箱書

 

五代・寛誉(かんよ)香齋

大正十一年(一九二二)~平成二十八年(二〇一六)。東京生まれ。本名三重喜。四代の長女と結婚し宮川家に。昭和二十一年、国立陶磁器試験場に伝習生として入り卒業後は四代のもとで茶道具制作に専念。昭和四十七年、五代を襲名。茶道具の「用」に適う作品を制作されました。

六代・宮川香齋:昭和十九(一九四四)~

東京造形大学美術学部彫刻科を卒業、陶芸を志し、五代に師事します。平成十四(二〇〇二)年、六代を襲名されました。大徳寺高田明浦老師より「真葛」の印を賜りました。

茶の湯に相応しい道具を基本とし、仁清・乾山の写し、染付、祥瑞、赤絵、交趾、安南写しなど幅広く制作されておられます。特に藁灰釉(わらばいゆう)を用いた作品に力を入れておられます。

 

 

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