信楽焼の解説です。
信楽焼(しがらきやき)は滋賀県甲賀(こうか)郡信楽町の焼物。
隣の三重県伊賀丸柱窯と並び本国最古の陶窯の一つとされる。
【沿革】
・天平宝字(757-765)
この頃に草創と考えられています。種を貯蔵する壺や農具・雑器など。
これを俗にいう「古信楽」。
・室町~桃山~江戸時代
茶道の流行に伴い、茶人武野紹鷗(たけのじょうおう)が信楽焼を深く愛し天文・文禄(1532-1570)年代に茶器を作らせた伝えられる。-紹鷗信楽ー
紹鷗の弟子である千利休もまた信楽の陶工に意匠を授けて製作させました。ー利休信楽ー
天正年間(1573-1592)、茶道勃興期から寛永年間(1642-1644)に至ると、利休の孫の宗旦が祖父に倣い茶器を作らせました。-宗旦信楽ー
同時代には小堀遠州の指導によって同じく茶器が制作されました。ー遠州信楽ー
次いで本阿弥空中・野々村仁清・有来新兵衛らが各々の技術をふるい信楽の土で種々の器物を製作しました。-空中信楽・仁清信楽・新兵衛信楽ー
以後茶陶が主流になる。ー谷井直方・高橋春斎ら良工の輩出。
文化・文政(1804-1830)以降は実用粗品となり明治~今日まで至る。
【特徴】
胎土は重くかつ堅い。大小の長石粒を混ぜている。雑多の土質が融けあい堅緻な不等質な陶胎を形成する。
窯中において焼け縮みが激しく不均等になり形が原形より崩れ、山瑕・窯疵(※キズのこと)が生じやすい。胎土の表面に薪灰が付着し光沢を発するものもある。
土の色は一般に赤褐色で鉄分の多いものは褐色も強くなる。
長石が溶解すると乳白斑を生ずる。
釉薬は、本来は土焼きのため施さず、強火度で数回焼成するために溶解した薪灰が胎土に落着し自然に釉薬膜を生じる。
色は一定ではなく、淡黄、淡緑、褐黄、暗褐、暗緑色など。
後代になってからは景色をつくる目的として釉薬を用いはじめた。緑色がちの灰釉でガラス質のビードロ釉と称するものです。

①信楽焼角鉢 表:裏
①の部分

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参考文献『原色陶器大辞典』
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