湖東焼の解説です。
湖東焼(ことうやき)は近江国彦根(現滋賀県彦根市)の井伊候の藩窯です。
もともとは彦根に近い古沢村(彦根市古沢町)佐和山の麓にあったそうですが、後に製造所を拡張し彦根柳町および石ヶ崎村(石ヶ崎町)をその地に入れました。
14代藩主井伊直亮が創始、15代井伊直弼が難に遭遇し没すると衰退の一途をたどり、16代直憲の頃には陶工が離散や減地を命じられたちまち廃窯することに。
その継続期間は天保13年(1842)~文久2年(1862)にわたる二十年余りでした。
【湖東焼の特徴】
染付けを主とし陶器・青磁も産出、赤絵も焼付けました。写し物では青花・赤絵・呉須赤絵・青磁・織部・志野・交趾・高麗などなど多種にわたります。直亮時代には錦手・金襴手など精巧絢爛なものが多く見られます。直弼の時代は百老・羅漢・赤壁・松竹梅・山水・花鳥など中国の模倣が多く見られます。
【湖東焼の銘印】
直亮時代
「湖東」の二字、「淡海彦城」「金亀山東」「金亀山製」、単に「湖」の一字。
直弼時代
「湖東」の二字を一定させ、これ以外の銘や工人の銘を用いることを禁止。
無名のものが多い。
銘が確認されているものには、亀の輪郭に「湖東」(形状異する大小二種)、二重小判内に隷書「湖東」(大小)、同じく行書「湖東」、円内に「湖東」、二重輪郭小判形に楷書で「湖東」など。写し物には九谷・角福銘・成化製・大清嘉慶年製も見られる。
【広義の湖東焼】
藩窯の前の絹屋窯、後に山口窯。
直弼及びその他藩士の楽焼。
赤水・床山・自然斎・賢友ら藩窯当時の赤絵民窯。
敏満寺焼・久平焼・文助焼・亀七焼・円山湖東焼・北川焼・樋口焼・長浜湖東焼などの諸窯もある。
これらにはそれぞれ「湖東」の銘を款したものもあるので「湖東」とあるものをもって藩窯の湖東焼とするのは難しいとされる。

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参考文献『原色陶器大辞典』
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