今戸焼の解説です。
今戸焼は江戸(東京)の土器です。
明治になり浅草付近を今戸町と称するようになりますが古名は今津といいます。
創始ははっきりと解明されていません。
天正年間(1573-1592)千葉家の一族が土着し瓦や土器を作ったことに起こりがあるのではないかと考えられています。
貞享年間(1684-1688)に工人の白井半七が初めて土風呂を作り、享保年間(1716-1736)の二代半七が瓦器に釉を施し楽焼に相当するものを作って以降、開業者が数十戸に及び「今戸焼」と称されました。
以来白井家が継業して次第に盛んになっていきます。のちに伏見人形に似たおもちゃをの塑像(そぞう)を作り出し今戸焼人形といわれるものも出てきます。
寛政年間(1789-1801)に中条某が土器や神具を作り御土器師と呼ばれます。
嘉永年間(1848-1854)には作根弁次郎が土風呂を巧妙に作り世間で上工とされます。
明治初年六世の白井半七が業を継ぎ、二世中条市太郎もまた継業し土器及び神具の瓶子をつくり、初めて宮中に献上しました。
当時、土器や楽焼塑像を制作した工人の戸数は四十戸に及んだといわれています。
別に天正年間、徳川家康が江戸入場の際、三河国(現愛知県)から来た土風呂師天下一宗四郎、土器師松平新左エ門、土屋という火鉢師などの子孫がこの地に集まり、さらに貞享年間には富田源二、安政年間(1854-1860)には塚本民助らも来て諸種の土器を製出したといわれています。

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参考文献『原色陶器大辞典』、『日本陶器全集(大正)』
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